3/12 ちょっと趣向を変えて…
2008年 03月 12日
今日は、僕が今年に入ってから勉強させてもらっている先生のブログで、とても考えさせられた文章があったので、それをご紹介しようと思います。
タイトルは『いい人』
自分ではよく使う言葉だし、言われることも割と多い言葉です。ただし、なんとなく違和感を感じて使っていたし、言われていた言葉でした。その答えが先生のブログにはあった気がします。
-----------以下、引用です-------------------------------------------------------------------
誰かが、「あの人はとっても『いい人』だ」と言っているのを聞くことがあります。ホメるのはいいことだし、少なくとも、誰かの悪口を聞かされるよりは気持ちいいことには違いありません。
ですけれども、それじゃあ、どんなふうにいい人なのだろうと思って聞いていると、結局のところ、「私にこういうことをしてくれたから」というのが、その理由だったりします。
気をつけて聞いてみてください。たいていの場合はそうです。
あの人は寛容だ。私を許してくれたから。
あの人は情熱的だ。私に熱く語ってくれるから。
あの人は温かい人だ。私に優しくしてくれるから。
あの人はかけがえのない人だ。私を愛してくれるから。
……
たとえば、「このおせんべいは硬い」と言うときには、まあ、硬さは比較の問題だとしても、それでもその言葉は「そのおせんべいそのものについて」語っていると言ってもいいでしょう。ところが、「あの人はいい人だ」と言うとき、その人のことを語っているのではなくて、「私はあの人にこういうことをしてもらった」という、つまり、「大事にしてもらった自分のこと」を言っているに過ぎないことがほとんどです。
だから、その「いい人」が、自分にとって都合の悪い態度をとったときには、とたんに「悪い人」に変わってしまうはずなのですね。たいていの人の言う「いい人」という評価なんて、そんな節操のないものなんですね。
でも、何かを評価するということは、自分の好き嫌いを抑えるということと同義だと言えるかも知れません。これは大変なことです。
ボクだって、なかなかそういうことはできないです。
だから、自分にとって都合の悪い人、自分と利害や価値観の一致しない人であっても、その人の正当に評価できる部分については、客観的にホメることができる。そういう人は、自分の好き嫌いを越えているわけです。
そういう人は、本当にスゴイですよね。
----------------------------------------------------------------------------------------------
いい人という言葉を使うとき、自分はどういう場面で、何を思って使っていただろう。
あの時、いい人と言ってくれた人は本当は何を思っていたのだろう。
まず、そんなことを考えました。
これまで発せられた全ての「いい人」という言葉が、先生の言う「私にこうしてくれたから…」という理由ではないし、言われたことに対して疑り深くなる必要なんてないと思う。
でも、「私にこうしてくれたから…」という理由で「いい人」と使った経験がないかというと、答えは「否」になる。
自分には時として害悪になりえる相手の中に、その人の良さを認め、それを表現することは難しい。どうしても主観が混じりがちになる。
それでも、いいものはいいと、認めるだけの強さを持っている人は、先生の言うように確かにすごい人だ。そして、僕はそういう人でありたいと思ったのでした。
まだまだ修行が足りませんな。
タイトルは『いい人』
自分ではよく使う言葉だし、言われることも割と多い言葉です。ただし、なんとなく違和感を感じて使っていたし、言われていた言葉でした。その答えが先生のブログにはあった気がします。
-----------以下、引用です-------------------------------------------------------------------
誰かが、「あの人はとっても『いい人』だ」と言っているのを聞くことがあります。ホメるのはいいことだし、少なくとも、誰かの悪口を聞かされるよりは気持ちいいことには違いありません。
ですけれども、それじゃあ、どんなふうにいい人なのだろうと思って聞いていると、結局のところ、「私にこういうことをしてくれたから」というのが、その理由だったりします。
気をつけて聞いてみてください。たいていの場合はそうです。
あの人は寛容だ。私を許してくれたから。
あの人は情熱的だ。私に熱く語ってくれるから。
あの人は温かい人だ。私に優しくしてくれるから。
あの人はかけがえのない人だ。私を愛してくれるから。
……
たとえば、「このおせんべいは硬い」と言うときには、まあ、硬さは比較の問題だとしても、それでもその言葉は「そのおせんべいそのものについて」語っていると言ってもいいでしょう。ところが、「あの人はいい人だ」と言うとき、その人のことを語っているのではなくて、「私はあの人にこういうことをしてもらった」という、つまり、「大事にしてもらった自分のこと」を言っているに過ぎないことがほとんどです。
だから、その「いい人」が、自分にとって都合の悪い態度をとったときには、とたんに「悪い人」に変わってしまうはずなのですね。たいていの人の言う「いい人」という評価なんて、そんな節操のないものなんですね。
でも、何かを評価するということは、自分の好き嫌いを抑えるということと同義だと言えるかも知れません。これは大変なことです。
ボクだって、なかなかそういうことはできないです。
だから、自分にとって都合の悪い人、自分と利害や価値観の一致しない人であっても、その人の正当に評価できる部分については、客観的にホメることができる。そういう人は、自分の好き嫌いを越えているわけです。
そういう人は、本当にスゴイですよね。
----------------------------------------------------------------------------------------------
いい人という言葉を使うとき、自分はどういう場面で、何を思って使っていただろう。
あの時、いい人と言ってくれた人は本当は何を思っていたのだろう。
まず、そんなことを考えました。
これまで発せられた全ての「いい人」という言葉が、先生の言う「私にこうしてくれたから…」という理由ではないし、言われたことに対して疑り深くなる必要なんてないと思う。
でも、「私にこうしてくれたから…」という理由で「いい人」と使った経験がないかというと、答えは「否」になる。
自分には時として害悪になりえる相手の中に、その人の良さを認め、それを表現することは難しい。どうしても主観が混じりがちになる。
それでも、いいものはいいと、認めるだけの強さを持っている人は、先生の言うように確かにすごい人だ。そして、僕はそういう人でありたいと思ったのでした。
まだまだ修行が足りませんな。
by rebelkeeper
| 2008-03-12 22:21
| 徒然日記